2月24日のロシアによるウクライナ侵攻と時を同じくしてプーチンは国営テレビの国民向けの演説で、「特別軍事作戦」開始の理由を表明した。
【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った? その核心となる部分を引用する。
「すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。
しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。
言いかえれば、彼らは強硬化している。
起きていることをただ傍観し続けることは、私たちにはもはやできない。
私たちからすれば、それは全く無責任な話だ。
NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、私たちにとって受け入れがたいことだ。
もちろん、問題はNATOの組織自体にあるのではない。
それはアメリカの対外政策の道具にすぎない。
問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。
それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。
アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。
一方、我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。
誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。
これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。
それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。
彼らはそれを超えた。」
NATOの東方拡大が「隣接する土地に、私たちの歴史的領土」に及ぼうとしている。それは、「我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威」である。だから武力侵攻して、それを阻止するということであろうか。ずいぶん乱暴な論理だ。いくら「隣接する土地、私たちの歴史的領土」であるからといって、ウクライナは主権を持つ独立国である。こちらの要求が通らないからといって力尽くで屈服させて自分の思い通りにさせるのは許されないだろう。それに「私たちの歴史的領土」だと言うこと自体、ウクライナの独立性を頭から否定していることである。
プーチンは根本的に誤解している。あるいはそれもわかってNATOを悪玉にし脅威を誇張することで自らの専制主義的な権力の強化に利用している。
1989年10月にベルリンの壁が崩壊し、ソ連東欧のいわゆる「社会主義国」が雪崩を打って一党独裁の体制を転換していった。この後、かつてのワルシャワ条約機構に加盟していた国はほぼこぞってかつての「敵」であるNATOの加盟入りを果たした。チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア、クロアチア、アルバニア、モンテネグロ、北マケドニア、エストニア、ラトビア、リトアニアである。90年代末期にはロシアのNATO入りさえ協議されたことがある。
プーチンはこれをアメリカの覇権主義の策略だというが、策略だけでこれだけの国を操れるものではない。それぞれの国が自らの意思で選んだのである。その動機はロシアの帝国主義的野望に対する警戒である。古くはロシア帝国そしてソ連に痛めつけられた記憶と体験が自衛のための集団安全保障に向かわせた。プーチンはロシアそしてソ連がこれら諸国に犯してきた罪を虚心に反省すべきだった。そして不信と警戒を解くために何をすべきか考え実行に移すべきだった。しかしこんな要求は、安倍晋三や高市早苗に日本の朝鮮植民地化と中国、アジアへの侵略を真に反省することを期待するようなものだろう。プーチンはNATOが今にもロシアに攻め込んできそうな不安をかき立て侵略戦争を始めた。
この行為がNATOに正当性を与えることをプーチンはわからなかったのだろうか。わからなかったなら信じられないほど愚かであり、わかっていたならNATOのことなどどうでもよくて彼の妄想に突き動かされたと思うしかない。いずれにしても自らの破滅とロシアにとって国益を損なう致命的な誤りをおかした。
ロシア軍が2月24日にウクライナの北と東と南から一斉に侵攻しキーウの陥落を目指したのは、その勢いをもってウクライナを一瞬で降伏させられるという予測があったのだろう。その2日後にロシア国営通信社RIAノーポスチは、勝利予定稿を誤って配信した。そこにはソ連解体によって失われた統一をロシアが回復したこと、ベラルーシとウクライナを再びロシアとして統合したことが謳われていたという(『現代思想』2022年6月臨時増刊号 89頁)。これはウクライナ侵攻の真の目的を図らずも明かしている。
プーチンは2021年8月に「ロシアとウクライナとの歴史的一体性」と題する論文を発表した。
論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」 ロシアとウクライナの歴史、民族、宗教、言語、文化が兄弟のように一体であることを強調する。「ウクライナの真の主権は、ロシアとのパートナーシップにおいてこそ実現可能であると、私は確信しています。」とまで書かれる。ソ連邦が解体したとき独立した共和国の中でもベラルーシとウクライナはプーチンには特別な意味をもつようだ。どんな考えを持とうと自由であるが、現実に他国の主権を武力によって奪うことは帝国主義に他ならない。声明では、迫るNATOの脅威を阻止するための自衛であると侵攻を正当化したが、本当の狙いはウクライナを領土ごとロシアに統合することであった。傀儡政権をつくりベラルーシのような軍事独裁国家にすることを描いたのだろう。ウクライナ軍と政権を見くびっていたというしかない。NATOの加盟国でないウクライナはNATOの武器支援があってもロシアの敵ではない。このような予断がなければ、今回のような侵攻は起こらなかったはずだ。しかし予測に反してウクライナ軍は強かった。互角以上にロシア軍と対抗し、プーチンの目論見ははずれた。引っ込みがつかなくなって、何らかの目に見える軍事的勝利を得るまで戦うしかなくなった。
NATOの東方拡大が今回の戦争の一因であるという主張は根強い。しかし現実はその逆であった。ウクライナがもしNATO加盟国であったならプーチンも侵攻できなかっただろう。ヨーロッパでは今このような考えが強くなっている。これまでロシアに配慮して中立策を維持してきたフィンランドとスウェーデンがNATO加盟を申請した。ロシア軍の残虐な行為がこの動きを加速した。こんな反応が起きることをプーチンが予想できなかったとは思えないが、それよりもウクライナをロシアに「統合」することを優先したのだ。
プーチンがNATOをロシアの「封じ込め」だと感じるのは、帝国主義的野望に立ちはだかるからだ。NATOはロシアへの侵略やロシアを殲滅することを意図していない。それは地球の破滅を招く。今回もウクライナはロシア軍を国境へ押し返すことを軍事目標とし、アメリカも国境を越えた攻撃を認めないことを明言する。
プーチンは声明で、ウクライナ政府によってジェノサイドにさらされるドンバスのロシア人を保護することを侵攻の理由にあげた。
「ドンバスの人民共和国はロシアに助けを求めてきた。
これを受け、国連憲章第7章51条と、ロシア安全保障会議の承認に基づき、また、本年2月22日に連邦議会が批准した、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国との友好および協力に関する条約を履行するため、特別な軍事作戦を実施する決定を下した。
その目的は、8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。
そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく。
また、ロシア国民を含む民間人に対し、数多くの血生臭い犯罪を犯してきた者たちを裁判にかけるつもりだ。」
ロシアとウクライナは「集団殺害の防止および処罰に関する条約(ジェノサイド条約)の締結国である。ウクライナはこの声明を受けて国際司法裁判所にジェノサイドの有無を検証することを訴えた。裁判所は審理に入るため仮保全措置として軍事行動の即時停止を命じた。しかしロシアはこれを完全に無視している。ロシアは自ら受けいれた国際法を破り、ジェノサイドの主張も法的な審理に耐えられないことを明かしたといえる。ジェノサイド条約を結ぶロシアは、ジェノサイドがあればまず国際司法裁判所に訴えることができたはずだ。この段階も踏まず、いきなり軍事力をもってウクライナの「非軍事化、非ナチ化」をめざし、犯罪者を裁判にかけるという。とうてい受け入れられる論理ではない。
ロシア軍の残虐行為は万単位で証拠が集まっている。ジェノサイド条約違反、人道に対する罪、戦争犯罪の罪、国際法廷においてこれらの裁きを受けるべきだ。