大型マンションに替わった老舗スーパー跡
マンションのエントランスの自動ドアが開いて、バギーを押す若い女性が出てきた。ランドセルを背負った小学生が、ドアの向こうに消える。ドアは開閉を繰り返して、住人が出入りする。エントランスの前は車の進入路を残して緑地帯となり、植えたばかりの木々が初々しい若葉をつける。基礎工事から2年余り、竣工した総戸数210戸の大型マンションの入居がこの春から始まった。
マンションとは道をはさんで真向いに平屋建ての食品スーパーがある。その屋上駐車場から私はマンションを眺めていた。食品スーパーができたのは8年ほど前である。私鉄駅から2分ほどという好立地にあり、何十年と駐車場であった場所に出現した耳慣れない名前のスーパーは規模は小さかったが、商品の品ぞろえと低価格が評判を呼んで近辺の客を呼びこんだ。
マンションが建つ場所には大型スーパーがあった。このスーパーがオープンしたのは、たしか1970年より少し前であり、この地域では最初のスーパーである。ユニードと今では消えた名前の店は、私が10代半ばで初めて見るスーパーであり、地域の人々にとってもそうであり、当時の日本人がそうであったように購買・消費行動をドラスチックに変える体験との出会いであった。
ユニードは80年代になってダイエーに吸収合併されて名前を変えた。店も改築された。お買い物バスが何台も出て、この頃が一番繁盛していただろう。陰りが見えてきたのは、世紀が変わる頃からである。地域に他の大型スーパーやデスカウント店、ドラッグストア、ホームセンターなどがいくつもできた。ダイエーはイオンに吸収されて名前もまた変わったが、この頃には入居していた専門店はほとんど消えていた。そしてこの食品スーパーの出現である。いつもにぎわう新参の小さな店とは対照的に、古参の店の広大な食品フロアは土日も閑古鳥が鳴いた。
4年ほど前、老舗スーパーの解体工事を同じ屋上の駐車場から眺めながら、私は感傷的になっていた。ほぼ半世紀、栄枯盛衰の軌跡を絵に描くようにして消える商業施設、たしかにこの店は地域の時代を画した華々しい存在であった。だが誰にも惜しまれず、誰も立ちあわず、こっそりと消えていく。この店での買い物、売り場のシーンや店員の表情も断片的ながら数多く思い出される。私だけではなく、地域に長く住む人なら誰もがそんな思い出を持つだろう。高く覆われたシートの向こうでは、重機の音、コンクリートを砕く音がする。
少なくとも私は店の消滅の瞬間に立ち会っていたのだ。長らく親しんだ店を古い知人のように感じていたのか。いや知人というより自分をそこに投影していたのだ。この半世紀は私の10代から60代の時間である。私の青春・中年・老年と重なり同じ軌跡をしるす歳月だ。この店が繁栄したほどの中年を私は欠いており、この店が使命を果たし終えたといえるほどの達成感や充実感は私にはないが、結末の寂しさには既視感があった。人生にサイクルがあっていずれ終点があり、それを意識する地点に来た私は、半世紀を伴走した存在をひそかに見送った。
解体されて更地になって約2年、ユンボが入り基礎工事が始まり、足場が組まれ建物が徐々に形を現わし、入居者募集が開始される。その折々をこの屋上から眺めた。人が住むマンションはもうすでにして始めからここに存在していたかのようにあった。前のスーパーは私の記憶の中で一段と遠ざかった。それは日々薄れていくだろう。歴史にさえならず、消え去ってしまうのだろう。
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