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明治の〈夢〉を生きた群像ドラマ 猪瀬直樹『唱歌誕生 ふるさとを創った男』(中公文庫)


 私が育った家庭環境は音楽が乏しかった。ピアノを習わしてもらうなんてことは考えられなかった。音楽とのはじめての出会いは、幼稚園の童謡、小学校の文部省唱歌など学校の音楽の授業においてであったと思う。人生で最初に出会った歌が文部省唱歌ということは、私の感性の基底がそれによって育まれているということだろう。寂しく思わないわけではないが、これはどうしようもない。数ある唱歌は題名を聞いただけで懐かしく思い出されるが、中でも「春が来た」「春の小川」「故郷」「朧月夜」「紅葉」は今も口ずさみ、その詩やメロディには琴線がふるえる。文部省唱歌は国が作った歌ということで、作詞者や作曲者は匿名であったが、戦後になって作者の名前が一部判明した。ここに挙げた歌はいずれも作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一であるという。彼らはいわゆる有名人ではないが、多くの日本人の音楽的な情操を養った者たちだ。その人物に興味を持つのは当然である。
 本書はタイトル通り、この二人が主人公でその誕生から死までの足跡が幅広い資料や取材によってたどられる。唱歌誕生の背景や彼らが関わったいきさつや役割が明らかになる。しかし著者の関心はそれだけではなく、明治の初期に生まれ日本国が形成されていくことと並行して人生を歩んだ者たちのドラマ、そして個々のドラマを通して明治から昭和にかけた時代を描くことにむしろ主眼があるように思える。
 島崎藤村や浄土真宗西本願寺派第22代門主大谷光瑞も主役級で登場し、彼らに関わる多くの人たちにも出会うことになる。その登場の仕方が小説的と言えるほど巧みである。北信濃の西本願寺派寺院、蓮華寺は藤村の小説『破戒』のモデルになったが、生家が近郷の高野はこの寺に下宿したことが縁で寺の娘と結婚している。光瑞の中央アジア探検隊の一員に娘の兄が加わり、娘の姉は他の隊員の妻になる。兄の娘は一人が光瑞の秘書となり、もう一人は辰之の養女になる。藤村、光瑞、辰之、三人の直接の接点はほとんどないが、蓮華寺を起点にして伴走する人たちの視点から三人の人生が照射され、そのミステリアスな展開に興奮する。執筆されたとき、光瑞の秘書になった女性は存命であり、インタビューに答える彼女の記憶が物語にリアリティを与えていることも見逃せない。
 辰之は学者志望であった。しかし師範学校出身で思うような進路を進めず、帝大教授の上田萬年に個人的に師事し、助力を得ながら文部省の教科書編纂や東京芸大の前身、音楽学校の研究職につく。唱歌の作詞をすることになったのは偶然である。
 文部省は尋常小学校の音楽の国定教科書を作成するにあたってそれにふさわしい唱歌を必要とした。招集された音楽学校の先生たちのなかに辰之がいた。各学年20曲、合計120曲が作られ、実際に歌われるようになったのは大正に入ってからである。彼らは口外することを禁じられ、チームになって制作したので、今でも個々の歌の作者を特定するのは難しいという。国策に沿った徳目を涵養する内容の歌も多かった。
 辰之は若いときに新体詩をつくり短歌を詠んだ。著者は、辰之が北信濃出身であることに着目する。四季の変化が顕著であることが、「朧月夜」や「紅葉」のような季節の鮮やかな描写を生んだのではないかと想像する。辰之は『日本歌謡史』を著し博士号を得る。帝大講師になり、文字通り「こころざし」を果たして故郷に錦を飾る。
 作曲した岡野貞一は鳥取県の没落士族の出身である。幼くしてクリスチャンになり、音楽の才能は日曜学校で磨かれたという。音楽学校を首席で卒業し、母校の教職に就くとともに教会のオルガン奏者を生涯つとめた。彼の作った歌に三拍子が多いのは讃美歌に親しんだ影響ではないかというのが著者の推測である。彼はつねにもの静かで目立たなかったという。辰之と貞一のコンビが目立つが、二人がとくにつきあっていたという形跡はない。
 「春の小川」は、辰之が当時住んだ東京近郊の代々木練兵場近くを流れていた小川から着想を得た。養女の証言である。また辰之の随筆に「春が来た」を自作とほのめかす記述がある。しかし他の作品や作曲が岡野貞一であることを知られたのはどこからだろう。情報源は遺族だとどこかで読んだ覚えもあるが、はっきりしない。本書がそのことを詳らかにしていないのはもの足りない。
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権威主義的資本主義に依存するリベラル資本主義 ーー橋爪大三郎・大澤真幸『おどろきのウクライナ』(集英社新書)を読む


 タイトルが示すようにロシアによるウクライナ侵略戦争をテーマとするが、アフガニスタンからのアメリカの撤退とタリバンの復権、中国の資本主義と権威主義的体制も俎上にして博識の社会学者二人が縦横無尽に討論する。いろいろなテーマで二人が語るシリーズは何冊も読んだが、やはり大澤真幸の該博な知識と理解力にもとづく解説と本質を突く問題意識には教えられることが多い。
 ロシアのウクライナへの軍事侵攻はいろいろな意味で常識を越えている。これに至った理由は、すでに多くの識者が指摘しているようにロシアの歴史的に形成されてきた西欧コンプレックスにある。二人の議論もこれを基本的に敷衍する。近代化が西欧化を意味する中で、ロシアも西欧への羨望がある。共産主義は普遍思想としてロシアは西欧に対する優位な立場を得たが、それを失うとロシアは西欧の下位に立たざるを得ない。しかしこれを認めないロシアの大国意識は、西欧のリベラリズムに対してロシアのナショナリズムを対置する。それは西欧へのアンチテーゼであって内実はない。ウクライナの政治的なロシアからの離反、西欧への接近は、ロシアの大国主義的ナショナリズムからは許しがたい。ロシアのプライドが傷つく以上におそらく自らの身をえぐられるような打撃を受ける感覚なのだろうか。プーチンを動かす誇張された妄想は、ロシア国民の多数の共同幻想とべつにあるわけではないという。軍事的・経済的なリアリズムを超えるロシアの「正義」に突き動かされた戦争は始末が悪い。一部で言われるように数年あるいはもっと長期につづく戦争になるかも知れない。
 ウクライナとロシアの問題以上に考えさせられたのは、中国に関する議論である。資本主義が成長すればリベラルデモクラシーへと向かうという予想を裏切って、中国は権威主義的な政治体制を維持する。果たして権威主義的な資本主義は今後ともに繁栄していくだろうか。一党独裁下で人々は国家に管理され人権が無視される。橋爪氏は、これを人類の進歩に逆行する現代の奴隷社会とまで批判する。中国はこのような政治体制を他国に「輸出」しようとはしていない。しかし世界レベルでは、権威主義的な政治体制の国が増えている。欧米が人権や民主主義の毀損を問題にして制裁すると、「内政干渉」をしない中国が独裁政権を支援し影響力を及ぼすという構図がある。中国の政治体制は国内問題だけにはとどまらないのである。
 大澤氏は、ここで重要な問題提起を行う。リベラル資本主義は自由と平等という理想を掲げているが、採用するシステムの中にこの理想を裏切るものがあるのではないか。具体的にそれが何だとは語られないが、たとえば南北問題があり、日本の技能実習生の問題が浮かぶ。マルクスはその問題を解明しようとしたのかも知れない。そのため世界中の多くの人にリベラル資本主義は魅力的には見えていない。そしてリベラル資本主義は中国の権威主義的資本主義を利用し、それに依存している。大消費地であり、安価で安定した労働力の供給地として中国の存在は世界経済にとって不可欠である。それには人権と民主主義に反していても、社会の秩序が安定していることが重要である。
 これ以上は言及されていないが、ここから考え及ぶのは次のことである。メイドイン中国の日用品の恩恵を受ける私も中国の権威主義的体制の成立に手を貸しているのだ。かといって中国製品を買わないという選択肢はない。突破口は、リベラル資本主義vs権威主義的資本主義の二項対立とは異なる思考にあるのだろうが、それが何かはわからない。

白紙革命


 中国では、「ゼロコロナ政策」への怒りに端を発した民衆の抗議行動が全国に波及しているという。SNSが伝えるところでは、A4の白紙用紙を頭上に掲げた群衆が警官に向かって叫んでいる様子が映し出されている。字幕には「共産党退陣」「習近平退陣」の文字が流れる。1週間前まではまったく考えられなかった事態が起きている。香港の数年前の街頭デモを想起させられた。情報を統制し当局への批判的な行動の芽を徹底的につぶしてきた中国であるが、意外とたやすくほころんだようだ。民衆の蓄積された不満・怒りはそれだけ大きく深かったということである。マイクを向けられた参加者は「ここで取材に応じたら外国勢力との結託と言われるでしょうが、もうかまいません。この3年間、ずっと我慢してきて、もやもやとしたまま死ぬよりも声をあげて死ぬことを選びます」と語る。中国で政府の方針に反対して声を上げることは、それだけで死を意識するほどの勇気がいることなのだ。
 習近平が異例の主席3期目に就き独裁体制を盤石化したように見えた直後の騒乱は、現在の中国の政治体制の硬直化と機能不全を象徴する出来事である。「ゼロコロナ政策」は、共産党と習近平の正しさの証明として党が全土に徹底的な実行を強いてきたことである。武漢の感染をロックダウンで乗り切り、世界中で猖獗をきわめた時も比較的感染を抑えられていた「成功体験」が教条化して、コロナ対策への柔軟な取り組みをさまたげる。上からの指令を忠実に実行して「成果」を出すことが評価の基準となる党員や行政機関は、過酷ともいえるほどの規制を実施して、生活や経済の犠牲をかえりみない。あげくのはてにウイグルの火災による10人の死亡が規制のために消火活動がさまたげられたせいだという風評が立つ。ゼロコロナという中央の至上命令に縛られて命を粗末にする本末転倒の事態に民衆の怒りが爆発した。
 NHKのドキュメンタリー番組で中国共産党の党学校の講義風景を見たことがある。講師が話すだけで質疑はない。番組取材者がそのことを質問すると、講師は「質疑は必要ありません。(講義内容は)すでに決まっていることです」と返ってきた。党の方針を示しそれをたたきこむということだ。「思想教育」に疑問を持ちこむことは許されない。
 米国・日本・中国の学生が「多党制か一党制か」のテーマで討論しあう番組があった(マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室」)。予想したようにアメリカと日本の学生が個人によって意見が異なるのに対し、精華大学のエリートたちは一党制の長所をチームで主張する。「下部で議論したことが上にのぼっていき結論が下されるので民主的である」「多党制では反対のための反対が現れて不毛な対立を生む」「多党制か一党制かではなくて、正しい政策が実践されているかが重要である」等々。
 学生が挙げた長所は反転して問題点になる。「政策はトップが密室で決めて下部は従うしかない」「様々に存在する利害や意見を反映するルートが存在しない」「間違った政策が修正される制度的な保証がない」。現在の騒乱は一党独裁の矛盾が一挙に可視化されたのである。当局はこれを「敵対勢力・犯罪的行為」と決めつけ鎮圧することに必死である。騒乱は物理的に抑えこまれるだろう。「ゼロコロナ政策」も「微調整」されて、民衆の不満をなだめる方向にいくだろう。しかし党が政策の間違いを認めることはない。一党独裁は「無謬性」という神話の上に成り立っているからだ。
 一党独裁は反対勢力の存在を認めない。権力の所在は一党が独占し、権力闘争は党内で行われる。反対勢力を公式に許さない党は、党内にあっても異論・分派勢力は公に許される余地はない。一党独裁は必然的に一個人への権力集中・崇拝へと収斂する。習近平の登場をもって中国の歴代の皇帝が復活したという見方がある。中国という14億の人口、広大な領土と多民族を抱える国で民主主義的な政治体制が成立することへの疑問がある。「社会の秩序と安定」を優先して経済成長を図ることへの評価もある。しかし、われわれが一党独裁下の中国に魅力を感じないのは当然である。中華ナショナリズムを煽りたてて国民の求心力を高め、対外的な強硬姿勢を誇示する中国に不快感と脅威を覚えるのも確かである。
 経済的にも軍事的にも大国となり、国民を管理して一枚岩になったように見える中国であるが、異論・批判は潜在し、それは常に表に出ることをうかがっている。強権的な言論抑圧と統制は、対抗し抑圧されているエネルギーの大きさを示す。街頭で掲げられた白紙はリンクのノートを破った頁のようなギザギザがあった。あの白紙は、ゼロコロナ批判だけではない体制に突きつけた「ノン」であることを雄弁に語っていた。

生きとし生けるものへの眼差し――高村薫著『土の記』(新潮社)を読む


 高村薫の小説はこれまで読んだことはなかったが、気になる作家であった。政治的な発言や宗教への造詣、森羅万象への博識ぶりをエッセイや対談に触れて畏怖感さえ抱いていた。『土の記』は奈良県宇陀市の山村を舞台にするという。同じ県内ということで関心があるし、特に宇陀市はいろいろな意味で注目している場所だ。と言ってもたまに史跡散策で尋ねるぐらいで地理感は無きに等しい。舞台となった「漆河原」は架空の地名で、あのあたりかなとは思うが自信はない。地元の人間ならほぼピンポイントでその土地が思い浮かぶだろう。
 小説には宇陀市をはじめ奈良県の地名や実在する学校、病院、寺院、書店などの名前が多数登場する。私が強く反応した箇所もまずそこで、それらがどういう文脈でどう描かれるかは興味深々だった。いずれも小説のリアリズムを保証する一つの装置としてまことに効果的に機能していた。
 主人公の上谷伊佐夫は72歳、宇陀の山間の旧家の婿養子である。東京の大学を卒業しシャープに技術者として勤め定年退職した。家伝来の棚田で米つくりに励む。妻は16年前の交通事故で植物状態となり、伊佐夫に介護されてきたが死去したばかりである。一人娘は東京で働き離婚した夫との間に高校生の孫娘がいる。家を継ぐ意思はなく米国へ移住する。2010年の6月から11年の8月までの出来事として描かれる。
 場所と時間を具体的に特定しながらも、登場するのは架空の人物であるが、彼らの実在感の濃さに感心する。地方色の濃厚な一人一人の顔つきや姿態、声までも浮かんでくる。この時代の宇陀という土地が確かに目前に現れる。しかしそれは狭小な閉じた世界ではなく、そこを通して宇宙に通じているような世界である。
 地縁と血縁という言葉がある。ここに登場する人物はこの言葉が意味する関係を生きている。都会や郊外では実感が薄れてしまい、ここでもおそらくずいぶん変わってきているのだろうが、なおも人々を結びつけ煩わしくもあるが不可欠な関わりとしてある。
 住人はお互いに何世代にわたって顔見知りであり家族の事情もわかっている。常に関心が向けられ何かがあればすぐ噂となって村中に知れわたる。冠婚葬祭や村の行事は維持されている。おすそ分けがあり、助け合いもある。伊佐夫は外部から来た婿養子として村の習俗に心理的な距離を持つが、慣習には順応する。寄合で絡みあう村人の様子がいかにもありそうだ。
 伊佐夫は本家の婿養子として跡取りをつくることを期待して迎えられた。分家や妻の妹の嫁ぎ先との濃密なつきあいがある。本家は代々女しか生まれず婿を取ってきた。女たちは評判の美人であり性的に奔放である。妻の昭代は男とつきあっていたらしく交通事故はそれとの関係が疑われる。伊佐夫の脳裏には絶えずそのことが去来する。しかし16年間の植物状態をはさむゆえか遠くておぼろげで輪郭をむすばない影絵のようなものとしてある。昭代の妹、久代は伊佐夫に好意を持ち、夫を亡くすと彼女は公然と伊佐夫の世話を焼き、彼もそれを受け入れる。
 主人公をはじめ登場人物たちはそれぞれに個性的で存在感を持つが、際立って個性的であったり非凡というわけではない。その中で私の個人的な印象として濃い影を持つ人物が、昭代の事故の加害者のトラック運転手・山崎某とその老母である。事故の原因は昭代にあることがほのめかされるが、山崎が飲酒運転していたこともあり罪を負う。その後、施設に入り昭代が死去した同年に彼も孤独に亡くなる。老母は生前「息子は悪うない」と言い続けてお百度参りをする。それぞれに暗い情念を抱える人物たちの中でも二人のそれは行き場がないようなものとして残った。
 伊佐夫は昭代から引き継いで伝来の農地で米作りに精を出す。エンジニアだった彼独特の方法によるコメ作りである。一年を通した農作業が精密に描写される。米作が細かな観察と作業によって成り立っていることを私ははじめて知ったが、おそらく実際の米作農家以外の読者には米作のドキュメントのようにも読めるだろう。リアルで緻密な描写はこの作家の特徴である。伊佐夫の趣味である地層観察、仮の墓石にするため自然石に文字を彫りこむ行為、ヘラブナ釣りなど鮮明なイメージをもって疑似体験させてくれる。
 舞台となった宇陀はまだ自然が濃い。地縁、血縁も自然と緒がつながっていることで血が通う。『土の記』という題名は、伊佐夫が米作をはじめとして自然と深くかかわって日常を送ることとともに、この地域が自然とのつながりをまだ保っていることを表している。土の匂いが魚や虫や動物、植物と変わらぬ生命の手ごたえを人間に与えてくれるのだ。
 小説は人の無意識と意識、行為、人間関係、出来事、自然を切れ目なくつないでいく。たゆたいうねり流れる文体には力強いリズムがある。2011年の東北大震災を中にはさみ、結末はそれとの関わりを思わせる。だが、それさえも地上の繰り返される出来事の一つとして生きとし生けるものを見つめる眼差しが確かにある。

『≪中島みゆき≫を求めて』(天沢退二郎著)を読む


 単行本の『≪中島みゆき≫を求めて』(創樹社)は1986年に刊行され、直後に読んだ記憶がある。河出文庫の同書は、単行本以後に書かれた文章や対談を加えて1992年に出版された。Amazonの中古本を買って読んだ。30数年前の記憶は難解というか、現代詩の最先端にいるような著者の文章は、私の理解を超えていた。今回も相変わらず同様の感想を持ったが、十分咀嚼できたという自信はないものの納得・共感できる箇所は増えた。みゆきのデビューアルバムから80年代にかけてのアルバムが時系列で批評される。それらの言葉とともにあるのは、著者のいわば全霊で歌を受けとめる熱さである。私が中島みゆきに入れ込んだのは80年代から90年代にかけてであった。あの時期をそして今も私は彼女の歌によって救われている。ここに思いを重ねられる同志を見出して胸が熱くなる。ファンというのはこういうものだろう。だから本書の最初の方に置かれた次のような文章と出会っただけで、本書の価値はある。

 「世に≪琴線≫とか、≪琴線にふれる≫とかいった、使いふるされた熟語・言いまわしがあるけれども、この≪琴線≫というのはたんなる喩ではなくて、ほんとうに胸のこのあたりにあるのだということが、≪中島みゆき≫の歌をきくとよくわかる。イントロが終わって、≪中島みゆき≫の歌う声がはじまると、まさに私の胸のこのあたりの、まさしく横にひとすじの線が、歌声にじかに共鳴してぴりぴりと鳴り出して押さえようがなく、どこかでじーんと涙のようなものがにじんでくるのがわかるのだ。なぜあの歌声はこんなにも私の≪琴線≫を鳴らすのか?」(同書10頁)

国葬について


 国葬という言葉はまがまがしい。さらに言うならキナ臭い。戦前は天皇が勅令によって国家に貢献した人物を認定し行われた。伊藤博文や山本五十六の国葬は、植民地政策や戦争を遂行するため国民を情緒的に扇動する儀式として利用された。
 敗戦によって勅令は廃止され、国葬は法律的な根拠を失った。唯一、戦後の国葬となった吉田茂のケースでは、法的な規定が存在しないことが政府のなかでも問題となった。しかしそれ以降、国葬に関する法律はもちろん、議論さえないまま現在に至る。
 安倍晋三元首相の国葬が来る9月27日に行われるという。国の儀式開催を規定した内閣府設置法第4条を根拠にして閣議決定で決められた。しかし第4条は国事行為を実施する際の規定であって、何を国事行為として実施するかどうかの決定まで含むものではない。国葬に関する法律がない現在、それを行うには立法機関の国会の決議を必要とするというのが、法律家の一致した意見である。岸田政権は、これを国会に諮ることは一切なく、閣議決定したことを委員会で説明しただけである。
 法的根拠のない国葬は「なんちゃって国葬」である。政権はこれを「国葬儀」と言い換える。批判に押されて、国民に弔意を求めないと弁明する。国民の弔意とは関係なく行うのなら国葬には価しないが、それでも国葬にこだわるのは、一度決めたことを取り消すのは政権の打撃になるからか。そのために16億5千万円(これで終わるとは思えないが)の税金が浪費される。
 岸田総理は、自民党の最大派閥である旧安倍派の歓心を得るために国葬を決めたのだろう。支持者は国家主義を信条とするから、ナショナリズムを煽る国葬によって安倍の「業績」をたたえることは最高のプレゼントである。国葬はそれ自体イデオロギーであり政治的な意図をもつ。死してなを国民を分断するのは如何にも安倍晋三らしい。故人には静かに追悼の意をささげたいものである。

奈良市新斎苑の土地買収


 奈良市の新斎苑、つまり火葬場の「旅立ちの杜」がオープンし今年の4月1日から稼働した。その前に一般公開があり、めったにない機会なので見学した。
 斎苑は横井町の高円山ドライブウェイ入り口の向かいの山を整地して建つ。外観・内観ともにグレーを基調にした施設で、機能に徹したつくりであった。
 火葬炉は12炉、そのうち動物炉が1炉。火葬炉の裏側の機械室も見学でき、係員の説明がある。パイプが複雑に入り組む工場のような印象である。火葬の煙はガスバーナーで燃やし、いくつものフィルターをくぐらせ、排煙されるときはほぼ見えなくなっているという。しかし降雨時はかすかに白く見えるかもしれないとか。1日に2回使用できるので、合計22件のキャパシティがある。動物炉は合同火葬のため骨上げはできない。
 動線がしっかり確保されていた。入り口と出口は別であり、告別室で他遺族と顔を合わせないように配慮される。告別室に隣接して枯山水のような坪庭があり、自然光が注いでいる。二階には待合ホール、大小の待合個室が用意される。奈良県産材のテーブル、椅子がセットされていた。売店もある。全面ガラスの部屋は明るくて、高円山の眺めが素晴らしい。
 周囲は山であり、民家はまったくない。奈良市街から近くて交通の便も良い。よくこんな場所が見つかったものだと感心する。

 前の奈良市の火葬場、東山霊園火葬場はこの近くにある。大正5年(2015)に開設されて実に100年以上運用された。1日7件しか受けつけられないため、他県、他市にも頼らなければならなかった。移転・建替の話が持ち上がったのは昭和33年(1957)。以後、多くの候補地が検討されたが、いずれも断念。平成28年(2016)に新斎苑計画が公表され、翌年に決定。その翌年から工事が始まった。地元の反対や政治家や党派の思惑がからんでいろいろな動きがあったようだ。オープンは予定より遅れたらしいが、計画公表から6年で完成にこぎつけたのだからこの種のものとしては速いのではないだろうか。なにしろ新設の検討を始めて60年間、具体的な進捗はなかったのだ。
 様々な問題や反対を抱えながら工事が進行したのは、やはり既設の火葬場が誰の目にも限界は明らかで、新斎苑の必要性が認識されていたからだろう。国からの補助金の期限に間に合わせたいということもあったようだ。現市長の市議会の基盤は弱いながらも議会の同意を取り付けられた背景を推測した。
 しかし市民念願のこの事業は大きなトラブルを残した。市は斎苑用の土地として1億6800万円で購入した。市が依頼した不動産鑑定は5100万円であった。その差額1億1600万円の損害賠償を求める住民訴訟があり、大阪高裁が市長と元地権者に差額1億1600万円を請求するように奈良市に命じた。
 奈良市は市議会で、市長に対する損害賠償の請求権を放棄する議案を提出した。「市民が広く利益を得る事業を、市長という特定個人の負担とするのは公平公正な行政執行のあり方とは言えない」と主張したが、市議会は否決した。
 このため奈良市は、市長と元地権者2人に損害賠償を請求している。市長は責任を認めて賠償する意向を示しているが、評価額が適切ではないとも主張する。元地権者は支払う意思を示していない。市長は昨年末のボーナス136万円を返済の一部として市に納付したが、市は「預かり金」としている。
 市自治連合会の有志は、市議会に対して、市長への損害賠償を放棄するように求める陳情書を2回提出している。その中で土地買収の予算を認めた市議会の責任を問うている。
 公共事業における「ごね得」のようなことが行われていたのは想像できる。今回の大阪高裁の判決はその種のことを認めないという原則を示したことは評価できる。今後の公共事業に大きな影響を与えるかもしれない。しかし一方、新斎苑の完成は奈良市民にとって大きな利益をもたらした。1億6800万円の買い物は高くはないような気がする。もしここで売買が成立しなかったら、永久に斎苑はできないかもしれない。そのように思わせる立地条件にある。
 土地買収を認めながら、この問題に頬被りするような市議会は無責任である。少なくとも賛成した議員は賠償金の一部を負担することぐらいできないのだろうか。市長の後援会には市民からの寄付が寄せられているという。

参考 朝日新聞奈良版5月22日「奈良がわかる!奈良市の新斎苑 土地買収を巡る裁判続いているね」

プーチンの声明


 2月24日のロシアによるウクライナ侵攻と時を同じくしてプーチンは国営テレビの国民向けの演説で、「特別軍事作戦」開始の理由を表明した。【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った? その核心となる部分を引用する。
 
「すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。
しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。
言いかえれば、彼らは強硬化している。
起きていることをただ傍観し続けることは、私たちにはもはやできない。
私たちからすれば、それは全く無責任な話だ。
NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、私たちにとって受け入れがたいことだ。
もちろん、問題はNATOの組織自体にあるのではない。
それはアメリカの対外政策の道具にすぎない。
問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。
それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。
アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。
一方、我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。
誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。
これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。
それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。
彼らはそれを超えた。」
 
 NATOの東方拡大が「隣接する土地に、私たちの歴史的領土」に及ぼうとしている。それは、「我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威」である。だから武力侵攻して、それを阻止するということであろうか。ずいぶん乱暴な論理だ。いくら「隣接する土地、私たちの歴史的領土」であるからといって、ウクライナは主権を持つ独立国である。こちらの要求が通らないからといって力尽くで屈服させて自分の思い通りにさせるのは許されないだろう。それに「私たちの歴史的領土」だと言うこと自体、ウクライナの独立性を頭から否定していることである。
 プーチンは根本的に誤解している。あるいはそれもわかってNATOを悪玉にし脅威を誇張することで自らの専制主義的な権力の強化に利用している。
 1989年10月にベルリンの壁が崩壊し、ソ連東欧のいわゆる「社会主義国」が雪崩を打って一党独裁の体制を転換していった。この後、かつてのワルシャワ条約機構に加盟していた国はほぼこぞってかつての「敵」であるNATOの加盟入りを果たした。チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア、クロアチア、アルバニア、モンテネグロ、北マケドニア、エストニア、ラトビア、リトアニアである。90年代末期にはロシアのNATO入りさえ協議されたことがある。
 プーチンはこれをアメリカの覇権主義の策略だというが、策略だけでこれだけの国を操れるものではない。それぞれの国が自らの意思で選んだのである。その動機はロシアの帝国主義的野望に対する警戒である。古くはロシア帝国そしてソ連に痛めつけられた記憶と体験が自衛のための集団安全保障に向かわせた。プーチンはロシアそしてソ連がこれら諸国に犯してきた罪を虚心に反省すべきだった。そして不信と警戒を解くために何をすべきか考え実行に移すべきだった。しかしこんな要求は、安倍晋三や高市早苗に日本の朝鮮植民地化と中国、アジアへの侵略を真に反省することを期待するようなものだろう。プーチンはNATOが今にもロシアに攻め込んできそうな不安をかき立て侵略戦争を始めた。
 この行為がNATOに正当性を与えることをプーチンはわからなかったのだろうか。わからなかったなら信じられないほど愚かであり、わかっていたならNATOのことなどどうでもよくて彼の妄想に突き動かされたと思うしかない。いずれにしても自らの破滅とロシアにとって国益を損なう致命的な誤りをおかした。
 ロシア軍が2月24日にウクライナの北と東と南から一斉に侵攻しキーウの陥落を目指したのは、その勢いをもってウクライナを一瞬で降伏させられるという予測があったのだろう。その2日後にロシア国営通信社RIAノーポスチは、勝利予定稿を誤って配信した。そこにはソ連解体によって失われた統一をロシアが回復したこと、ベラルーシとウクライナを再びロシアとして統合したことが謳われていたという(『現代思想』2022年6月臨時増刊号 89頁)。これはウクライナ侵攻の真の目的を図らずも明かしている。
 プーチンは2021年8月に「ロシアとウクライナとの歴史的一体性」と題する論文を発表した。論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」 ロシアとウクライナの歴史、民族、宗教、言語、文化が兄弟のように一体であることを強調する。「ウクライナの真の主権は、ロシアとのパートナーシップにおいてこそ実現可能であると、私は確信しています。」とまで書かれる。ソ連邦が解体したとき独立した共和国の中でもベラルーシとウクライナはプーチンには特別な意味をもつようだ。どんな考えを持とうと自由であるが、現実に他国の主権を武力によって奪うことは帝国主義に他ならない。声明では、迫るNATOの脅威を阻止するための自衛であると侵攻を正当化したが、本当の狙いはウクライナを領土ごとロシアに統合することであった。傀儡政権をつくりベラルーシのような軍事独裁国家にすることを描いたのだろう。ウクライナ軍と政権を見くびっていたというしかない。NATOの加盟国でないウクライナはNATOの武器支援があってもロシアの敵ではない。このような予断がなければ、今回のような侵攻は起こらなかったはずだ。しかし予測に反してウクライナ軍は強かった。互角以上にロシア軍と対抗し、プーチンの目論見ははずれた。引っ込みがつかなくなって、何らかの目に見える軍事的勝利を得るまで戦うしかなくなった。
 NATOの東方拡大が今回の戦争の一因であるという主張は根強い。しかし現実はその逆であった。ウクライナがもしNATO加盟国であったならプーチンも侵攻できなかっただろう。ヨーロッパでは今このような考えが強くなっている。これまでロシアに配慮して中立策を維持してきたフィンランドとスウェーデンがNATO加盟を申請した。ロシア軍の残虐な行為がこの動きを加速した。こんな反応が起きることをプーチンが予想できなかったとは思えないが、それよりもウクライナをロシアに「統合」することを優先したのだ。
 プーチンがNATOをロシアの「封じ込め」だと感じるのは、帝国主義的野望に立ちはだかるからだ。NATOはロシアへの侵略やロシアを殲滅することを意図していない。それは地球の破滅を招く。今回もウクライナはロシア軍を国境へ押し返すことを軍事目標とし、アメリカも国境を越えた攻撃を認めないことを明言する。

 プーチンは声明で、ウクライナ政府によってジェノサイドにさらされるドンバスのロシア人を保護することを侵攻の理由にあげた。

「ドンバスの人民共和国はロシアに助けを求めてきた。
これを受け、国連憲章第7章51条と、ロシア安全保障会議の承認に基づき、また、本年2月22日に連邦議会が批准した、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国との友好および協力に関する条約を履行するため、特別な軍事作戦を実施する決定を下した。
その目的は、8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。
そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく。
また、ロシア国民を含む民間人に対し、数多くの血生臭い犯罪を犯してきた者たちを裁判にかけるつもりだ。」

 ロシアとウクライナは「集団殺害の防止および処罰に関する条約(ジェノサイド条約)の締結国である。ウクライナはこの声明を受けて国際司法裁判所にジェノサイドの有無を検証することを訴えた。裁判所は審理に入るため仮保全措置として軍事行動の即時停止を命じた。しかしロシアはこれを完全に無視している。ロシアは自ら受けいれた国際法を破り、ジェノサイドの主張も法的な審理に耐えられないことを明かしたといえる。ジェノサイド条約を結ぶロシアは、ジェノサイドがあればまず国際司法裁判所に訴えることができたはずだ。この段階も踏まず、いきなり軍事力をもってウクライナの「非軍事化、非ナチ化」をめざし、犯罪者を裁判にかけるという。とうてい受け入れられる論理ではない。
 ロシア軍の残虐行為は万単位で証拠が集まっている。ジェノサイド条約違反、人道に対する罪、戦争犯罪の罪、国際法廷においてこれらの裁きを受けるべきだ。

戦争という完全な悪


 ロシアの1967生まれの作家、ドミートリー・ブィコフはロシアがウクライナに侵攻した2月24日の翌日、ラジオ「モスクワのこだま」で視聴者の質問に答えてこう語った。

 「 トーマス・マンの言葉を思い出す――「完全なる悪の唯一のいいところは、その悪を前にすると、普段は善を分断しているかのように思われる矛盾の壁が、不思議と消えていくところだ」。私たちは実際、完全なる悪に対峙しているときだけ、和解できるものなのかもしれない。そして戦争とは完全な悪だ。私たちはみんな、よくわかっている。ロシアは、破滅に向かい進み始めた。ただひとつ願えることがあるのなら、ロシアがこの破滅から脱するとき、長い夢から覚めて悔い改め、変わっていくことだ。そこだけに希望がある。そして私はそれを信じる。私は戦争に反対する。この恥ずべき戦争に反対する。兄弟であるウクライナの平和を願う――これからも兄弟でいられるだろうか、私にはわからない。けれども私たちと彼らはすぐ近くで生き続け、ともにこの危機を脱しよう。」(【緊急掲載】戦争という完全な悪に対峙する──ウクライナ侵攻に寄せて|ドミートリー・ブィコフ/奈倉有里編訳)https://note.com/iwanaminote/n/n3d5608b53e10

 ロシアがウクライナに全面的な戦争を仕掛けたとき、世界中の人が何が起こったのかわからなかった。目の前で起きていることが現実だとは信じられなかった。アメリカが事前に警告していたにもかかわらず、21世紀の今日、そんなあからさまな侵略戦争が起きるとは誰の頭にもなかった。それは、3ヶ月経った現在も変わりない。
 すぐに国連総会でロシアにウクライナからの即時無条件完全撤退を要求する「ロシア非難決議」がかけられた。141カ国の賛成があり採択された。反対したのはロシア、ベラルーシ、北朝鮮、シリア、エリトリアの5カ国。いずれも独裁政権下にありロシアの軍事援助を受ける。棄権や無投票は47カ国であった。ロシアと仲の良い中国やインドさえ反対の票は投じなかった。ロシアと安全保障条約(CSTO)を結ぶカザフスタン、アルメニア、キルギス、タジキスタンも反対しなかった。当然ながらロシアは世界から孤立して圧倒的多数の国を敵に回してしまった。
 侵攻当初はまだ対話交渉による解決が期待された。しかしロシア軍の民間人への殺傷や残虐行為が明らかになるにつれ期待は急速にしぼんだ。残念だが対話の成立する相手ではなかった。
 戦争の原因としてNATOを東方拡大した欧米の責任を問い、ウクライナの問題を指摘する意見がある。そうであってもロシアの侵略戦争を肯定する主張に組みすることはない。「完全なる悪」を前にしているからだ。この戦争が軍事的に決着するにせよ交渉によるにせよロシアの「無条件完全撤退」をもって終わることを願っている。
 ブイコフは、パステルナークの評伝で2006年に国民的ベストセラー賞とボリシャーヤ・クニーガ賞を受賞した。プーチン政権に対しては批判的な立場を持ち続け思想犯の釈放を求める運動などにも参加してきたという。連邦保安局の手で毒殺されかかったこともある。ロシアの反戦運動はプーチンの苛烈な弾圧で抑えられているようだが、身内とでもいうべきプーチンを支えていた人たちの中から反旗が上がりだしている。
 スイス・ジュネーヴの国連機関のロシア代表部に勤務していた外交官、ボリス・ボンダレフ氏は「この血まみれで、分別がなく、まったく不必要な屈辱をこれ以上共有できない」として辞表を出した。https://www.bbc.com/japanese/61560572
 「全ロシア将校の会」の会長、レオニード・イワショフ退役大将はプーチン大統領の辞任までも訴えた。もし「対ウクライナ戦争が起きれば、ロシアの国家的存立に疑問符がつき、ロシアとウクライナは永遠に絶対的な敵となってしまう。両国で、千人単位、万単位の若者が死ぬ」と。侵攻直前に語ったのだが、5月にも警告を発した。https://news.yahoo.co.jp/articles/ee52e38b84caf9256edb4523673618e1c0699884
 ウラジオストクがある沿海地方の議会で、野党・共産党の議員がウクライナ侵攻の中止とロシア軍の即時撤退を訴える声明を読み上げた。「軍事的手段での成功はあり得ない。作戦を続ければ、軍人の死者や負傷者が増えるのは避けられない」と訴えたという。https://news.yahoo.co.jp/articles/acc4fc099affe40b99b554491fd210a155b85a09
 まだ一部に過ぎないだろうが、表面化した身内の批判の背後には膨大な批判、不満が渦巻いていることは想像できる。彼らの存在に私は希望を持つ。

オオキンケイギク


 いつから咲き群れるようになったのだろう。気づいたのは去年だった。家の前の県道に鮮やかな黄色の花が数珠つなぎに咲く。雑草にしては整った花の姿をして児童の黄色い帽子のように目立つ。突如現れたきらびやかな光景。一体何者かと思った。
 オオキンケイギクという名前を知ったのは、それから時間はかからなかった。ネットを見ていてたまたま似た花の画像があった。さっそく調べた。アメリカ原産の外来植物で観賞用に移入されたが、繁殖力が強く緑化用にも利用された。そのため雑草化して在来植物を駆逐するまでにいたり、現在は栽培が禁止され駆除の対象になっているということだった。
 それから意識するようになったためか、道端や河原にこの花を見かけるようになった。花は美しい。しかし根から引き抜き焼却することが奨励される花なのだ。複雑な気持ちになる。
 県道の花は、道端に片寄せられてたまったわずかな土に根づく。歩道に沿って歩道を彩るかのようだ。通学路でもあるので、子どもが手を伸ばして摘み取ったりする。朝夕、声が聞こえてきて子どもたちの姿が花越しに見えると、なぜだか和む。

オオキンケイギク

オオキンケイギクは除草剤を撒かれたようで枯れてしまった。県道だからおそらく県の担当者によるのだろう。(6月10日記)